転校生と湊は、どうやら知り合いのようだ。
再会した二人の抱擁にクラス中が湧き上がる中、芙美は入試の時に咲と初めて会った時の事を思い出していた。緊張しながら教室へ踏み込んだところを、待ち構えた咲に突然抱き着かれたのだ。
――『会いたかったよ』
同じだなと思った。けれど、真っ赤な顔で目を潤ませる咲と芙美は初対面だ。受験当日という事で困惑してしまったが、後に咲が説明してくれた。
――『この町の学校は女子が少なかったんだ。だから外から可愛い女の子が来てくれたのがとっても嬉しかったんだよ』
確かに新入生15人のうち女子は5人で、地元出身は咲1人しかいない。他はみんな町の高校へ行ってしまったらしい。そんな記憶を重ねながら斜め前の席に座る彼女を伺って、芙美は『あれ』と首を傾げた。湊たちを見つめる横顔が、今にも泣き出しそうに歪んでいたからだ。
「そろそろいいですか?」
担任の中條の声で湊が「はい」と素っ気なく席に着くと、転校生が黒板の前へ戻って何事もなかったように自己紹介を始めた。
小さく唇を噛んだまま彼に向けられた咲の視線は、怒りさえ含んでいるようにも見える。
「咲ちゃん……?」
音にならない程の声でそっと呟いたところで、芙美の視界を人影が塞いだ。「よろしく」という男子の声に顔を上げると、今しがた教壇の横に居た転校生が目の前で芙美を見下ろしている。
自分の席が空席を置いて一つ後ろに下げられていた理由は察していた。それなのに咲に気を取られているうちに、彼の自己紹介を聞き逃してしまったらしい。
「よろしく。えっと……」
慌てて黒板を見て、彼の名前を確かめる。
「長谷部(はせべ)、智(とも)くん」
「おぅ」とはにかんで、智は前の席に腰を下ろした。咲はこちらを振り返ろうとはしない。
中條は教壇に手をつくと、改めて話を始めた。『夏休みを終えて、新学期への心構え』と題した内容に、クラス中が上の空状態になる。そんな中、智が窓際の湊へ一方通行の視線を飛ばしているのに気付いて、芙美はそっと声を掛けた。
「長谷部くんって、湊くんの知り合いなの?」
彼の行動が気になって、聞かずにはいられなかった。湊とはいつも色々と話はしているつもりだが、特定の友人というのは彼の会話に登場したことが無い気がする。しかも会った瞬間に抱擁を交わすなんて、ただの友達とも思えない。
「気になる?」
廊下側の壁に背を当てて、智は悪戯な笑顔を見せた。
彼は「うん」と大きく頷いた芙美に、「そうだよ」と答える。
「それって、二人が男同士で……」
芙美があらぬ妄想を切り出した所で、智は「違う違う」と右手を振った。
「俺たちは昔から知り合いなんだよ。生まれる前からの。17年ぶりに会ったら、抱き着きたくもなるでしょ?」
芙美は「えっ?」と瞳を開いて、混乱したまま「そう……かな」と首を傾げた。
☆
芙美の頭を疑問符でいっぱいにさせた智は、「ナイショ」だと笑うばかりでそれ以上の説明は何もしてくれなかった。
真相の分からないまま下校時刻になって、いつものように咲が「帰ろう」と芙美の所に飛んでくる。智の事ですっかり忘れていた彼女の涙を思い出して、芙美はそっと声をひそめた。
「咲ちゃん、今日泣いてなかった?」
「泣いてた? 私が?」
昇降口に向かいながら、咲は身に覚えのない顔で首を捻る。
「ほら、湊くんが転校生の長谷部くんと……」
芙美がそこまで説明したところで、咲は「あぁ」と手を打った。
「男同士で抱き着くなんてキモイって思っただけ」
「えぇ?」
それであんな顔をするとも思えないが、「いいのいいの」と咲に肩をバンバンと叩かれて、はぐらかされてしまう。芙美は「もぅ」と唇を尖らせた。
「みんな私に隠し事ばっかりしてない?」
「みんなって?」
言ってもいいのか迷ったけれど、モヤモヤしたままの気持ちを共有したくて、芙美は智の言葉を咲に伝えた。口止めされてもいないし、何度考えても意味がよく分からない。
「ねぇ、おかしなこと言うでしょ? 何なんだろう、『生まれる前からの知り合い』って」
そのワードがどうしても引っ掛かる。スッキリしない気持ちで溜息を零す芙美の隣で、咲がピタリと足を止めた。
一瞬きょとんとした彼女が突然前方を睨みつける。
「咲ちゃん?」
校門の方向で、まさに話題の二人が肩を並べて歩いていた。
「ほぉぉお。あいつらは、生まれる前から仲良しこよしだったって訳か」
「そういうことなの……かな?」
咲の言葉に納得しつつも、そんなこと実際にあるわけはないと芙美は思っている。
「面白い。聞き出してやろうじゃないか」
咲は悪だくみする悪代官よろしく、不気味な笑顔を芙美に向けた。
「芙美、この後クリームソーダ食べに行こうよ」
「えっ本当? 久しぶりに行きたかったんだ」
咲の提案に、芙美は声を弾ませる。
白樺高校生徒の憩いの場である、駅前の田中商店で売られているクリームソーダが芙美は大好物だった。夏休み中はこっちに来ることもなく、一学期の終業式の日以来1ヶ月食べていない。
「じゃあ、決まりだな」
咲はニカッと笑って校門へ向けてダッシュする。
そして風紀委員の伊東も驚くような猫なで声で、ターゲットの二人を呼び止めたのだ。
「ねぇ、そこのお二人様ぁ。待って下さらなぁい?」
咲の声に振り返った湊が、化け物にでも遭遇したような顔をしたことは言うまでもない。
転校生と湊は、どうやら知り合いのようだ。 再会した二人の抱擁にクラス中が湧き上がる中、芙美は入試の時に咲と初めて会った時の事を思い出していた。緊張しながら教室へ踏み込んだところを、待ち構えた咲に突然抱き着かれたのだ。 ――『会いたかったよ』 同じだなと思った。けれど、真っ赤な顔で目を潤ませる咲と芙美は初対面だ。受験当日という事で困惑してしまったが、後に咲が説明してくれた。 ――『この町の学校は女子が少なかったんだ。だから外から可愛い女の子が来てくれたのがとっても嬉しかったんだよ』 確かに新入生15人のうち女子は5人で、地元出身は咲1人しかいない。他はみんな町の高校へ行ってしまったらしい。そんな記憶を重ねながら斜め前の席に座る彼女を伺って、芙美は『あれ』と首を傾げた。湊たちを見つめる横顔が、今にも泣き出しそうに歪んでいたからだ。「そろそろいいですか?」 担任の中條の声で湊が「はい」と素っ気なく席に着くと、転校生が黒板の前へ戻って何事もなかったように自己紹介を始めた。 小さく唇を噛んだまま彼に向けられた咲の視線は、怒りさえ含んでいるようにも見える。「咲ちゃん……?」 音にならない程の声でそっと呟いたところで、芙美の視界を人影が塞いだ。「よろしく」という男子の声に顔を上げると、今しがた教壇の横に居た転校生が目の前で芙美を見下ろしている。 自分の席が空席を置いて一つ後ろに下げられていた理由は察していた。それなのに咲に気を取られているうちに、彼の自己紹介を聞き逃してしまったらしい。「よろしく。えっと……」 慌てて黒板を見て、彼の名前を確かめる。「長谷部(はせべ)、智(とも)くん」 「おぅ」とはにかんで、智は前の席に腰を下ろした。咲はこちらを振り返ろうとはしない。 中條は教壇に手をつくと、改めて話を始めた。『夏休みを終えて、新学期への心構え』と題した内容に、クラス中が上の空状態になる。そんな中、智が窓際の湊へ一方通行の視線を飛ばしているのに気付いて、芙美はそっと声を掛けた。「長谷部くんって、湊くんの知り合いなの?」 彼の行動が気になって、聞かずにはいられなかった。湊とはいつも色々と話はしているつもりだが、特定の友人というのは彼の会話に登場したことが無い気がする。しかも会った瞬間に抱擁を交わすなんて、ただの友達とも思えない。「気になる?」
ロマンスグレーの髪を朝の風に揺らしながら手を振る校長にぺこりと頭を下げて、芙美は黙った二人に「どうしたの?」と声を掛けた。ピリと漂った緊張感が気のせいであったかのように、咲が「いやぁ」とはぐらかしてスカートのウエストをくるくると詰めていく。「こんな辺ぴな田舎の学校に来るなんて、物好きな奴がいるなと思ってさ」「今流行りのⅠ(あい)ターンとかかな?」「もしそうだとしても、広井町まで行けば学校なんて幾らでもあるのにな。けど、最近この辺りに引っ越してきた奴なんて居たかなぁ?」 広井町は、この白樺台の駅から三駅離れた芙美の家がある町だ。確かに向こうは都会で有名な進学校や専門校が幾つもあるが、白樺台に家があるのは三人のうち咲だけで、湊の家も広井町から更に一つ遠い有玖(あるく)駅の側にあった。「咲ちゃんは町の高校に行こうとは思わなかったの?」「家から近い方がいいんだよ。ギリギリまで寝てられるし」「言ってることと逆だけど、確かに通学時間が短いのは楽だよね。湊くんはどう思う?」「……え?」 湊はずっと物思いに耽っていたようで、覗き込んだ芙美に驚いて「ごめん」と謝った。「えっと、荒助さんは校長先生に誘われてウチの高校受けたんだっけ?」「そうだよ。近所の図書館で偶然校長先生に会ったの。それで「良かったらどうですか?」って言われて」 去年の夏、芙美は広井町の図書館でよく受験勉強をしていた。そこで何度か会った田中という初老の男にここの校長だと聞かされたのだ。「あの爺さん、ここが私立だからって外で勧誘(ナンパ)してるのか?」「毎年定員割れしてるから、生徒を増やすのに必死なんじゃないかな」 咲の言い方には問題があるが、学校にとって切実な問題であろうことは明確だ。山奥で一学年一クラスの設定だが、定員の三〇人にはどの学年もとどいていない。 ――「進路に迷っているなら、うちに来ませんか? ちょっと遠いけど空気が綺麗ですよ」 友達が居なかったわけでも、成績が悪かったわけでもない。ただ、どうしようか迷っている時にタイミング良く声を掛けられたのだ。「ずっと町に住んでるから、田舎もいいなって思って。制服も可愛いし」 半袖シャツに、赤とグレーのチェック柄スカート、そして、胸元の赤いリボンが白樺高校の夏の女子制服だ。男子は開襟シャツにスカートと同柄のパンツで、生徒たちから
広井(ひろい)駅を出発して少しすると、電車は大きな川を超える。そこからはもう民家もほとんどない田舎の風景が広がっていた。「何考えてるの?」 小さな集落の無人駅を過ぎたところで、荒助(すさの)芙美は並んで座る相江湊(あいえみなと)に声を掛けた。虚ろ気に外を見つめる彼に芙美がそれを尋ねるのは、入学式から数えて2回目だ。「あ、いや、天気良いなと思って」 前も同じような返事だった気がする。促すように空を見上げた彼の視線を追うと、まだ真夏の気分を残したモクモクの入道雲が山の緑に重なっていた。「今日も暑くなりそうだね」「そうだな」 ほんの少し笑って見せて、湊はまた風景に没頭する。 広井駅を過ぎると、改札から遠い2両目の車両には他の客が誰も居なくなった。恋人同士ではないが他人という訳でもなく、芙美はなんとなく彼の側に居る。 芙美が挨拶すれば彼はちゃんと答えてくれるし、嫌がっている様子もない。ただ毎度のように黙って外を眺める彼は、心がどこか遠くにあるような気がした。『次は白樺台(しらかばだい)』 少しずつ民家が増えてきたところで、アナウンスが流れる。 山奥の小さな町の駅に下りるのは、同じ高校の制服を着た男女ばかりだ。 エアコンのきいた車内からホームへ出ると、昨日の雨で湿度の高くなった暑い空気がムンと広がった。「あっついね」と芙美が手うちわを扇ぐと、湊が「ほら」と改札の向こうを指差す。「咲ちゃん!」 芙美の到着を待ってましたと言わんばかりに笑顔を広げる彼女は、同じ一年の海堂咲(かいどうさき)だ。ウエストをくるくると巻き上げた超絶ミニ丈のスカートから惜しみない美脚を晒して、駅から出る芙美を迎えた。「おはよう、芙美。会いたかったよ。ついでに湊も、おはよう」 大袈裟に目を潤ませる咲を冷たい目でチラ見して、湊は「おはよ」とそっけなく返事する。「おはよう咲ちゃん。この間一緒にプール行ったばっかりだよね?」「そんなの一週間も前だろう? それは久しぶりって言うんだよ。あの時の芙美は、めちゃくちゃ可愛かったな」 鞄を胸に抱きしめて、咲は「うんうん」と夢見がちに何度も頷いた。 ちなみに、咲がいつも下ろしているストレートの髪を高い位置で結わえているのは、この間プールに行った時に芙美が「ポニーテールも可愛いよ」と褒めたからだと芙美は思った。「あの時の咲ちゃん
ただ水の音だけが広がる沈黙の中で、ヒルスはルーシャに背を向けたまま呆然と立ち尽くしていた。「貴方、良く堪えたわね。後追いでもされたらどうしようかって内心ヒヤヒヤしてたのよ?」「する気だったけど、アンタを信じたんだ。別の世界に行く穴は1人分だったんだろ? アイツは……リーナはちゃんと向こうへ行けたのか?」 ルーシャが滝壺へと構えた杖を引いて「勿論よ」と答える。彼女が空中に描いた藍色の魔法陣が宙に溶けていく。 ヒルスは項垂れた背をゆっくりと起こし、もう二度と会えない妹を思って自分の肩をそっと抱きしめた。「リーナのさっきのアレは何だったんだ?」 彼女が最後に耳元で何を話したのか、ヒルスには聞き取ることが出来なかった。言葉だと言われればそんな気もするし、魔法だと言われれば魔力のないヒルスは『そうなのか』と納得せざるを得ない。「アイツはもう魔法なんて使えない筈だろう?」「彼女にも色々と事情があるのよ。必要になる時が来たら教えてあげるから、今はまだ我慢して。リーナは貴方の妹だけれど、この国の大切なウィザードでもあるんだから」「……ウィザード様ね。そんなの分かってるんだよ」 今まで何度もそれを納得しなければと思って生きて来た。 妹である前に彼女はこの国にとって大切な魔法使いだ。いつも側に居るのに、間を隔てる壁は厚い。「けど、リーナが幸せだと思えるなら、それでいいのかな。どうせならこっちの事を何も思い出さないで転生する方が幸せなんじゃないかって思うのは、僕の我儘なのか?」「それじゃ何のために行くのか分からないでしょ? 先に行った二人は、あの子が追い掛けてくるなんて夢にも思っていないでしょうね」「アイツらが恨めしいよ。けど、本当にアッシュは死ぬのか?」「死ぬわよ」 杖の先についた黒い球を撫でながらキッパリと肯定したルーシャに、ヒルスはその意味を噛み締めるように唇を結んだ。閉ざされた運命を辿る友を思うと、引いたはずの涙がまた零れそうになる。「彼女はアッシュの武器を引き継いで、ラルと一緒に異世界を救う覚悟で崖を飛んだの。お兄ちゃんがそんな顔してたら、彼女の想いが無駄になってしまうわ」「無駄になんてさせるかよ……」「えぇ。そして貴方はやっぱり彼女と同じことを私に聞いたわ。貴方も異世界に行きたいんでしょう?」「――えっ?」「さっきはあぁ言ったけど
世界を脅威に陥れたハロンとの戦いが終わって1年が過ぎた。 ため息が出る程の平和な日々が過ぎ行く中、魔女(ウィッチ)である彼女がふと垣間見た未来に絶句する――それが全ての始まりだった。 ☆ 異世界へ旅立つ決心なんてとっくの昔についていた筈なのに、いざここへ来ると足元が竦(すく)んでしまう。 断崖絶壁から下方を覗き込んで、リーナはゴクリと息を呑んだ。 すぐ側で途切れた川の水が滝壺を叩き付け、底は水しぶきに白く霞んでいる。「別に、怖いなら飛び込まなくてもいいのよ? 貴女がここで死んで異世界へ生まれ変わらなくても、先に行ったラルがちゃんとアイツを始末してくれるわ。彼の力を信用してみたらどう?」 背後で見守る魔女・ルーシャが仁王立ちに構え、眉間のシワを寄せた。「ラルの力を信用してないわけじゃないよ。けど、アッシュの事を聞いたら、やっぱり私は彼の所に行きたいの」 ――『アッシュが死んでしまうわ』 つい数日前に聞いたルーシャの発言が何度も頭を巡り、衝動が止まらなかった。想像した未来に泣き出してしまいそうになる気持ちを抑えて、リーナはふるふると首を振る。 ラルもアッシュも、リーナにとって大切な人だ。なのに二人はリーナに何も言わず、もう戻る事の出来ない世界へ旅立ってしまった。「あの二人が異世界へ飛んで貴女までを行かせてしまうのは、この国にとって大きな損失よ?」「私はもう力なんて使えないのに」「表向きはね。けど貴女は今でもれっきとしたウィザードよ?」「うん――」 ルーシャの言う事はちゃんとわかっている。 一年前の戦いが終わった時にリーナの魔力は消失したのだと周知されているが、実際はルーシャの魔法で内に閉じ込めているだけだ。そしてそれを知る人間はリーナとルーシャの二人だけに他ならない。 再びウィザードとして魔法を使う事に躊躇いが無い訳じゃない。けれど、ラルとアッシュを追って異世界へ行く決断をしたのは、それが事態を好転させる切り札だと確信したからだ。 リーナが胸の前で両手をぎゅっと組み合わせたのを合図に、ルーシャが右手に掴んだ黒いロッドの先で足元をドンと突く。「貴女の行動が彼等の想いに背くんだって事も頭に入れておきなさい?」「分かってる。それでも行きたいと思ったから、私はここに来たんだよ」 確固とした意志で主張するリーナに、ルーシャが「